和歌山・華岡青洲の里とアフガン中村哲医師

2019年12月10日

    2019127日、和歌山県紀ノ川市にある「華岡青洲の里」に行った。

午前1025分伊丹を出発、阪神高速湾岸線・阪和道・京奈和道を通り、午後020分、華岡青洲生誕地「青洲の里」に着いた。曇っていて、7.5℃と寒い。

外科医・華岡青洲の住居兼病院・医学校であった「春林軒」を巡った。門下生部屋 表示は板の間で、丸い座布団が敷いてある。手術後や重病人が入院する部屋は、3表示3畳・6畳の3部屋あった。主屋では、奥に手術部屋 表示が見えた。

黒川紀章氏が設計した「フラワーヒルミュージアム」に行った。楕円形のユニークな形をした建物で、マンダラゲの花をモチーフにしてある。館内にある「レストラン華 表示」で、"四季旬菜 健康おもてなしバイキング"を食べた。

館内にある展示室に行くと、華岡青洲ゆかりの遺品や資料が展示してあった。青洲の門下生は1861名で、紀州が129名と最も多く、次いで播州(兵庫)89名、土佐83名となっている。

華岡青洲はマンダラゲやトリカブトなど6種類の薬草を使い、「通仙散」を作り、18041013日、世界初の全身麻酔による乳癌摘出手術に成功している。最初の乳癌摘出患者は大和国宇智郡五條村の60歳の女性だった。乳癌手術患者は156例で、紀州36例・大和16例・山城(京都)13例の順に多く、北は陸奥(青森)から西は筑前(福岡)まで全国から集まっていた。

「青洲が50歳の時、大干ばつで水不足・食料不足となり、多くの農民が餓死した。青洲は"医療だけでは、人の命を救えない"とし、苦しむ農民のため、ため池を作った」と書いてあった。すぐに、3日前(2019124日)アフガニスタンで銃撃され、亡くなられた中村哲医師のことが思い浮かんだ。

中村哲医師も、「抗生物質では人の命は救えない。水がないと感染症が広まり、食料がないと飢えで亡くなる。100の診療所より1本の用水路を」と、1600本の井戸を掘り、25kmを超える用水路を完成させ、16500ヘクタールもの農地をよみがえらせている。 

中村哲氏(1946年生まれ)は、"強い正義感を持ち、弱者を助ける"という母方の祖母・玉井マンの影響を強く受けていた。玉井マンは、私の母方の祖父・徳永福三と同じ広島県庄原市峯田出身で、中村哲氏は、庄原格致高校のクラスメート(公立病院元総師長)の親戚になる。芥川賞作家・火野葦平は玉井金五郎とマンの長男、中村哲氏の母は次女で、中村哲氏は火野葦平の甥にあたる。

火野葦平は、母・マンの故郷の庄原市によく帰省していた。庄原市歴史民俗資料館には、火野葦平資料室が設置され、葦平の母・マンに関する資料が展示されている。火野葦平の自伝小説「花と龍」は、中村哲の祖父母(金五郎とマン)を主人公にしたもので、1962年に石原裕次郎と浅丘ルリ子、1965年に中村錦之助と佐久間良子、1969年に高倉健と星由里子で映画化されている。

午後315分、和歌山県岩出市にある「根来寺」に行った。紅葉 表示は見頃で、川沿いの紅葉 表示が色づいて綺麗だ。国宝の「大塔 表示」や、大伝法堂、不動堂など巡った。

華岡青洲や中村哲など偉大な医師は、目の前の患者さんを診察するだけでなく、水・食料・衛生環境など、人の命を大切に考えている。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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