人生100年時代とスーパー高齢医師

2019年1月28日

    2019121日午後6時、ホテルグランヴィア大阪で「第63回大阪産業医学研究会」が開催され、120名が参加した。

午後6時、東京工科大学医療保健学部の五十嵐千代看護学科教授による特別講演「企業における産業保健師・看護師活動の現状と今後の展望」があった。五十嵐教授は、厚労省の特定健診・保健指導の委員をされ、"動機付け支援"や"積極的支援"などの言葉を考案されている。

五十嵐教授は、「ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授は、著書LIFE SHIFT(ライフ・シフト)の中で、"人生100年時代がやってくる"と予測している。毎年の世界1位の国の平均寿命は、1840年の45歳から、190050歳、195070歳、200085歳となっている。国連の推計によると、2050年までに日本の100歳以上の人口は100万人を突破する見込みだ。

2008年から始まった特定健診・保健指導は、2018年から第3期に入った。保健指導の効果は1年で、指導を止めるとリバウンドする。保健指導は、毎年つづけることが重要だ」と講演された。

下村伊一郎大阪産業医学研究会会長は「第1回から参加されていた阿部源三郎先生が、2018123日心疾患のため、99歳でご逝去された。阿部先生は昭和18年に阪大医学部を卒業、軍医をされた後、亡くなられるまで71年間、商社の産業医をされていた。毎回、一番前の真ん中の席に座られていた姿がなく寂しい」と挨拶された。

阿部源三郎先生は、私が生まれる前から産業医をつづけられていたことになる。阿部先生はつい6か月前、「2020年の東京オリンピックを観に行くのが楽しみだ」と、元気に言われていたのが嘘のようだ。

午後8時から懇親会があった。私がこの会に参加し始めたのは14年前からで、阿部先生は、その間ずっと懇親会の乾杯の音頭をとられていた。松澤佑次前会長は、「前回まで、毎回大きな声で乾杯の音頭をとられていた阿部源三郎先生が亡くなられた」と、乾杯の音頭をとられた。

企業の産業医をしている1年先輩医師は「今年3月が定年だが、企業につづけて勤務する」、1年後輩医師は「今年3月で定年になる。4月からは別な企業に行くが、今度行く企業の産業医は定年がない」と言う。企業の産業医をしていた先輩医師は「新しく会社を立ち上げた」と言われる。70歳を超えても、十分起業することができる。

昨年3月で仕事を辞め「のんびり旅行三昧する」と言っていた1年先輩医師は、「3月から病院の常勤医師になる。医者は患者を診ていないと生き甲斐がない」、昨年3月で仕事を辞め、毎月夫婦でヨーロッパ・アメリカ・スリランカ・北海道・東北旅行などしていた大学のクラスメートは、「3月から企業の産業医になる」と言う。「70歳になったので仕事を辞め、息子家族のいる東京へ夫婦で行って、孫の面倒をみて暮らす」と東京に行かれた先輩医師は、6か月後には大阪に戻られ、老健施設長になって毎日働かれている。

スーパー高齢医師として、99歳まで現役医師として活躍されていた阿部源三郎先生が亡くなられた。やがて「人生100年時代」がやって来る。70歳で仕事を辞めた医師は、6ヵ月~1年後仕事に復帰している。医師は、何歳になっても十分働けそうだ。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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