健康長寿で悔いなく生きる

2011年11月19日

    20111117日(木)午後6時から、大阪市北区のホテルで食事会があった。

解禁されたばかりのボジョレーヌーボーで乾杯をした。今年のボジョレーヌーボーはできがいい。"かんぱちのカルパッチョサラダ仕立て胡麻のマヨネーズソース"が、あっさりとして美味しい。

ガス会社の人に今後のエネルギー資源について聞くと「石油エネルギーは40年で枯渇するが、シェールガスは60200年分ある」と言われた。化石エネルギーは、石油からガスに移って行くのかもしれない。

 

大和ハウスOBの谷軍三さんと話をした。98歳で矍鑠(かくしゃく)としておられる。谷さんは逓信省にいた1963年、倒産寸前だった大和ハウスから何度も頼まれ、再建に行かれている。

谷軍三さんは「大和ハウスの株は60円に下がり、商社は材料の鉄を売ってくれなくなっていた。このままでは2000人の従業員が職を失うことになる。日本触媒の八谷社長に相談し、紹介してもらった富士製鉄の永野社長に株を買ってもらうことに成功して大和ハウスの信用を取り戻した。現場の士気が高いかどうかが、再建の鍵になる。自分で直接現場に行って仕事ぶりをチェックし、3年後株は1700円に回復した」と話された。

谷さんは、大和ハウスの中興の祖といえるだろう。大和ハウス退職後は、ダイワロイネットホテル初代社長になられている。現在、大和ハウスは従業員26800人の大企業になっている。谷さんがいなかったら大和ハウスは倒産し、"役所広司と黒木メイサ"や"上野樹里と木南晴夏(きなみはるか)"のCMは存在しなかったかもしれない。

 

谷さんは広島県竹原市の出身で、池田勇人総理の満枝夫人と同じ小学校だったという。「満枝さんは病院長の娘で、一般の生徒と違って派手な服装をしていた。田舎では、都会の服装をしていると苛められることがある。男子生徒に苛められないよう学校の行き帰り、ボディーガードをしていた。1960年、池田国会議員のパーティーで、満枝さんが池田議員と結婚していたことを初めて知った」と言われた。

大和ハウス専務時代に池田総理の自宅に行った時、池田総理は「男の人生は、悔いのない足跡を残すことだ。私は今、総理として日本の所得倍増計画を実行している。日本経済を安定させ、日本人に平和と幸せを与えることが私の足跡だと思い、必ず実現する覚悟で努力している」と話されたという。

 

谷さんは、ボリュームのある"但馬あじ鶏の炙り焼き白葱ソテー添え柚子ごしょうソース"を全部食べられた。高齢になっても肉を食べられる人は元気だ。98歳の高齢で、スポーツジムに週3回通われているという。私にはとても谷さんのようなバイタリティはないが、悔いのない生き方をしようという思いを抱いた。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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