大震災・ストレスとメタボリックシンドローム

2011年4月17日

   2011413日の仕事帰り、大阪府吹田市千里ニュータウンにある「千里さくら通り」の桜並木を観に行った。

道路を挟んで両側にあるソメイヨシノは満開で、淡いピンク色の花を咲かせていた。16年前の阪神大震災の時は、千里に食料の買い出しに来ていた。

 

1995117日、阪神大震災の朝、自宅から市立伊丹病院に行く道沿いにある家は傾き、壁が崩れ落ちて瓦礫が散乱し、車一台がようやく通ることができる状態だった。16年後の現在は、新しい街づくりで片側2車線の広い道路に整備されている。

阪神大震災3日後の120日、我が家の食料も少なくなり、兵庫県伊丹市から大阪府吹田市の千里大丸に行った。伊丹市の産業道路沿いの家の屋根は青いシートがかかっていた。伊丹市の断水は21日までつづき、伊丹病院の水は2日に1度来る自衛隊の給水車によって確保されていた。

 肥満外来では断水・都市ガスの停止・食料不足で、痩せてくるだろうという予想に反し、震災後に体重が増加した者が多かった。中には26kgも体重が増えた人もいた。

肥満外来で震災前まで順調に減量していた肥満患者さん35名(男性13名、女性22名)のうち、震災3ヶ月後10名が体重増加していた。体重が増えた人の摂取熱量は330kcal、収縮期血圧は11mmHg 、中性脂肪は59mg/dl有意に増加し、HDLコレステロールは12mg/dl有意に減少していた。

 体重増加の原因は間食や夜食の増加が5名、麺類の増加が2名などだった。食べ物の変化については非常食(菓子パンやスナック菓子など)を食べるようになったが6名、野菜が少なくなったが4名いた。

阪神大震災では継続栄養指導中にもかかわらず、体重が増加する者が増え、それらの人では血圧が上昇し、脂質異常症が増悪していた。これは断水や都市ガスの停止によって炊飯ができなくなり食習慣が変化したこと、震災後大量に買い込んだ非常食の処理で過食になったことなどが考えられた。

 

大震災では身近な人の死、病気・けが、将来への不安など大きなストレスがかかり、血圧が上昇する。避難所生活では熟睡しにくくなり、不眠も血圧を上昇させる。高血圧は心筋梗塞や脳卒中を起こしやすくする。ストレスでアルコールを多飲する人も出てくる。

 

人は健康か命かの選択を迫られた時、命を守るために少しでも多く食べて飢餓に備え、交感神経を緊張させて血圧を上げようとする本能が働くのだろう。東日本大震災の被災者のため、バランスの良い食事ができ、安心して眠れる環境が、一刻も早く整えられることを願う。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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