東日本大震災と心のケア

2011年4月 2日

2011330日、大阪ヒルトンホテル2階にあるブラッセリー「チェッカーズ」で、例年3月に行っている職場の懇親会があり、68名が参加した。

自粛ムードの中で、挨拶も乾杯も行わなかった。「東北の避難所はまだ寒いだろう」「東京の親戚は地震の日、新橋から20kmの自宅まで4時間30分歩いて帰った」「原発の影響は数年、数十年つづくかもしれない」「大阪ではミネラルウォーターや単一乾電池が手に入りにくくなっている」と、東日本大震災の話題が多かった。

「偽のチェーンメールが来た。匿名のものはニセ物が多いので注意しよう。アラブ諸国で革命が起こったのは、実名のフェースブックで情報が伝わったからだ」「一部テレビは犯人探しをして責め立てている。原発事故は人災の面もあるが、天災の部分が大きい」など庶民感覚は健全だ。

 

331日午後540分、伊丹空港滑走路の西側にある伊丹スカイパークへ飛行機を見に行った。1mはある大きな羽を広げた鳥が、2羽飛んでいる。紫、薄紫、白のジンチョウゲが咲いていた。15℃と、春の気候だ。南駐車場近くのウイングデッキに行った。飛行機の翼の形をし、幅61mの実物大で、床が木でできている。

ウイングデッキの手すりにもたれ、次々と離発着する飛行機を眺めた。この空港から震災翌日の312日午前650分、阪大病院からDMAT(災害派遣医療)チームが派遣され、自衛隊機で花巻空港へ向かい850分に到着、医療活動を行っている。

ヘリコプターが一機、上空を舞っていた。ドクターヘリチームも312日午前730分に福島県立医大に向けて出発、1314分に到着し患者搬送などの医療活動を行った。肺炎・腸炎などの感染症や喘息、心臓病、糖尿病などの悪化した患者さんが多くなってきている頃だろう。医療者や自治体職員が過重労働で、バーンアウトしていないか心配だ。

 

阪神大震災の時は避難所生活でメンタル障害を起こし、救急車で運ばれてくる人もいた。心のケアも必要だ。

友人は「阪神大震災の時は半年後~数年後に自殺した世帯主が多かった。世帯主が自殺したのはローンをかかえながら借金をしなければならない経済的理由からだ。世帯主の心のケアは経済も絡むので、医療者だけでは解決できない。行政と国民が一体となって支援していかなければならない」と言っていた。

午後6時すぎ真っ赤な夕陽が西の空に沈んで行った。

 

東日本大震災から3週後、41日現在の死者は11578人、行方不明者は16451人、避難者は17433人、福島第1原発で働いている勇気ある作業員は394人となっている。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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