人生の財産とメタボリックシンドローム
2009年11月19日午後6時、ウェスティンホテル大阪で元NHK報道番組プロデューサー中村勲氏による「仕事を創り続けてー出会いが人生の財産」の講演があった。
体調を崩されており、座って酸素吸入をしながら話された。人生最後の講演を記念に残そうと、ビデオ撮影が行われた。
司会者は、私がメタボリックシンドロームの講演をした時に知りあって以来の友人で「会場には、お医者さんが来ておられるので、安心してお話し下さい」と言われた。"演者が倒れられたら、すぐ助けに行かなければならない"と緊張感を持って聴いた。
最初に赴任した広島は"第2次仁義なき戦い"の最中で、以後も昭和の大事件をいろいろ取材されている。
「1970年11月22日、東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地近くにいた時、騒がしいので行ってみると、三島由紀夫が演説をした直後で、激文が捲かれていた。何が起こったのかとウロウロしていたら、目の前を2つの白い柩(ひつぎ)が運ばれて行った。
1972年2月の連合赤軍によるあさま山荘事件では、取材現場まで行く道に、あさま山荘から狙撃される所が15mあった。他の記者はあさま山荘から見えないよう雪どけの泥々道を這いつくばって行ったが、私は心が高揚していて死んでもいいと思い、1人だけ立ったままゆっくり歩いて行った。
1979年、大阪での梅川による三菱銀行人質事件では、中継車の堅い椅子に座りつづけ、36時間一度もトイレに行かなかった」など話された。
講演の後半はイベントプロデューサーの話だった。「小松左京さん、井上靖さん、ブルックシールズさんら多くの人との出会いがあった。
1988年の奈良シルクロード博では、竹内タケシと長谷寺の和尚さんとのコラボがうまくいった。奈良県南部の十津川村でオカリナ奏者"宗次郎の出張コンサート"を行い、村人に喜んでもらった。
1994年の和歌山リゾート博では、小林稔侍に詞を朗読してもらった」などと話された。
途中2度涙ぐんで話された所があった。お金がなく途方に暮れた札幌学生時代に親切にしてもらった話と、松江支局時代の話の時だった。
「松江の水害取材で半壊した農家を訪ね、断られるかと思ったら、暖かいお茶を出してもらった。3ちゃん農業で、夫が都会に出稼ぎに行き、1人で田を守っているお嫁さんの話に、途中撮影していたカメラマンが外に出て行って泣いていた。いい取材ができたと喜んでいる自分と、泣いているカメラマンとどちらが人間的だったか」と涙声で話され、私の目にも涙が潤んだ。
「NHKに入って一番良かったことは、いろいろな人と巡り合ったことだ。出会いが私の人生の財産になった」と講演を無事おえられた。