伊丹市昆虫館とメタボリックシンドローム

2009年6月14日

    2009613日、兵庫県伊丹市にあるS氏ゆかりの館「伊丹市昆虫館」に行った。 

昆陽池公園西口に駐車し、緑の森を歩いて行った。午後130分の昆虫館は、小さな子供たちで賑わっていた。ヘラクレスオオカブトムシやクワガタムシを喜んで見ている。

 

チョウ温室は、大阪から観光バスが来るだけあって一見の価値がある。赤いハイビスカス、白い胡蝶蘭など花が咲き乱れ、クロアゲハ、紫色のナガサキアゲハなど飛んでいる。じっとして動かないコノハチョウは、見れば見るほど枯れ葉に見える。

 昆虫館は子供たちに夢を与えるためにできたという。そういえばS氏は高見山関や子供たちといっしょに「一日一善」という、テレビコマーシャルをやっていた。S氏は子供好きだったのだろう。

 

最近、年寄り同士で楽しく話をしているとよく故S氏の話が出てくる。大阪府北部にある市役所OBの人に「大阪府以外にも伊丹市にS氏の家があり、伊丹市にある昆虫館はS氏からのプレゼントだ」と言われた。伊丹市に32年間住みながら、医療に朝から夜遅くまで忙しく、世の中のことを何も知らなかった。

 

スリランカに毎年行っていたという商社OBの人に「スリランカでは対日感情が非常によかった。S氏がスリランカのコロンボ港を作り、経済援助を行った。それに感謝したスリランカの大統領が、日本が国際社会に復帰できるよう東南アジア諸国を説得した。戦後日本が国際社会に早く復帰できたのも、S氏のおかげだ」と言われた。

 

40年前の196971920日、奈良県高市郡高取町壺阪寺での夏季大学に、同級生3人で参加した。19日作家の永井路子氏の講演があり、壺阪寺に宿泊した。20日万葉学者の犬養孝氏とS氏の講演があった。

S氏は小柄な人で、70歳には思えない艶のいい顔をされていた。「戦時中のことや、大阪に自分の飛行場を所有していること」など話され、大金持ちだと思った。その夜、アポロ11号のアームストロングが月面に降り立ったニュースをしていた。お寺にも援助をされており、京都駅北側の景観が保たれているのも、S氏の力によるものかもしれない。

 

S氏はメタボリックシンドロームにも関係されている。「1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にくすり」とあるが、1に運動の根拠となった研究に関わられている。

 

私の父は生前「タンスにしまって使われないお金は無いに等しい。生きた金を使え。功徳は黙ってつむものだ」と言っていた。父が国立大や名門私立大の学生3人に学資を出し、足長おじさんをしていたことを知ったのは、父の死後だった。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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メタボリックシンドローム

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