桶狭間の戦いとメタボリックシンドローム

2007年10月 9日
 2007年10月5日、愛知県豊明市で第39回藤田学園医学会が開催された。シンポジウム「生活習慣病とどう取り組むか?」で「メタボリックシンドロームと内臓脂肪」のタイトルでメイン講演をした。

 座長は藤田保健衛生大学の杉山敏腎臓内科教授がされた。大阪大学の同級生で麻酔科教授をしている竹田清君も聴きに来てくれた。500人収容できる六角形の珍しい形をした会場だった。創設者の藤田啓介学長が生化学者でベンゼン環から設計され、炭素に付いた水素の部分に小さな部屋が配置してあった。

 シンポジウムでは千葉科学大学危機管理学部の長村洋一教授が「生活習慣病をめぐる健康食品」について述べられた。健康に関与する食の作用としては、肉体的な栄養とともに精神的、社会的影響がある。同じ釜の飯を食うという言葉があるように、お父さんやお母さんと一緒に食事をする食育が重要だと指摘される。

 健康ブームはいまや健康食品という大きな産業を生み出している。健康食品は2005年で2兆1千億円、その内7000億円は特定保健用食品で、残りの1兆4千億円は玉石混合で安全性は不明のものもある。

 日本ほど健康食品の定義があいまいな国はなく中国、韓国でも健康食品の定義が決められている。健康食品は本当に効くのか、安全性はどうか、本当に必要な人が摂取しているのか、メディア情報に踊らされていないか、などの問題点があるという。健康食品で病気を治そうとする考え方は非常に危険な因子が多くあると述べられた。

 講演の前に豊明市にある桶狭間を見ようと、名古屋駅から名鉄本線に乗り中京競馬場前で下車した。陸橋を渡ると100mで桶狭間古戦場趾公園があった。「この地は1560年5月19日、今川義元が織田信長に襲われた所と伝えられる」と書いてある。わずか3000人を率いた27歳の織田信長が、2万5千の大軍を率いる42歳の今川義元を奇襲戦法で破っている。

 道路を渡って向かい側にある「今川義元本陣跡の碑」がある高徳院に行った。高徳院の裏は小高い丘で竹藪になっている。義元は竹藪を背に本陣をはっていたのだろうか。

 信長は出陣の前「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」と敦盛を舞っている。信長が賢かったことは、2度と奇襲戦法に出なかったことだ。奇襲が連続して成功する確率は小さい。

 1980年頃の状況から考えると「CTスキャンを用いた脂肪組織の測定法の開発」は、私が30歳の時の奇襲戦法だったのかもしれない。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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