友とメタボリックシンドローム

2007年8月15日
 人は皆、友の死を悼(いた)む時がある。そして、友は私の死を悼んでくれる。

 2000年6月9日、自治体病院の小児外科に勤務していた同級生の友人が逝去した。友人とは大学4年の時、3カ月間基礎配で第2生理学を専攻した。第2生理を専攻したのは私と大和谷淑子さん、友人の3人だった。友人はボランティアをしている養護施設で寝泊まりしながら大学に通っていた。時間になると子供達が待っていると施設に直行し、3カ月間1度も寄り道をすることはなかった。

 友人は自分と同じ名前の宮沢賢治をもじって「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を書いている。以下抜粋する。

 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 気丈夫な看護婦さんのお叱りにもめげない 強い心臓を持ち 汗だくの白衣で遅くまで働き いつも静かに笑っている。
4人の常勤と2人の研修医と 乳児棟15床幼児棟9床で 年間600余例の入院治療と週十数件の手術と 週数回の当直と外来を 文句も言わずに黙ってる。
南に緊急手術が必要な新生児あれば 迎えに行って救急処置をし 北に緊急コールあれば走って汗して心マッサージする。
病棟混めば日帰り手術をこなし ベッドが空けば違糞症の洗腸に励み ミンナニ コンビニ外科とヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイウ小児外科に ワタシハ・・・。老体に鞭打ち若い人と共に、小児外科に浸っています。」

 同級生の寺岡修君、永井利三郎君、大和谷夫妻らと葬儀に参列した。同級生が弔辞をよんだ。

 「亡き友はどこの大学の教授になってもおかしくない優秀な医者であり、また指導者でもありました。先日、病床で私は先生に『ここらで少し骨休みしてどこかの教授になることを考えたら』と言いました。すると亡き友は『そんなこと全然考えてないよ。僕はセンターで毎日子供に囲まれて子供を診ているだけでええねん。それがすきやねん。』と、いつものハイトーンな口調でさらっと言ってのけました。
 2月に入院してすっかり良くなって4月に最初の退院をした。その時主治医との約束は『勤務は5時まで』だったのに一日として守れなかった。2度目の退院をして病魔が忍び寄っていたのに、死の約10日前乳児棟の医師控え室で学会でのセミナーのためのスライド作りにパソコンに向かっていたおまえ。その顔は大量ステロイドのためムーンフェイスとなり、口の中はアフタでいっぱいだった。でもパソコンを打っている後ろ姿に悲壮感はなく何か楽しそうだった。その学会への出席をおまえが諦めたのは死の数日前だった。
 やはり友よ、おまえは走り過ぎだった。何がおまえをそこまで走らせたのか。その体がどこかで休息を求めていたのに、誰もそれを止めることができなかった。本当にすまない。」

 残された3人の子供さんを思い、多くの参列者の嗚咽(おえつ)が聞こえた。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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