突然死とメタボリックシンドローム

2007年7月 2日
 「人、天地の間(かん)に生くるは、白駒(はくく)の隙(げき)を過ぐるが如し」超越の思想家荘子の言葉だ。人の命などはかないものである。だが残された者達の悲しみは大きい。

 突然死の原因には急性心筋梗塞、不整脈など心臓病によるものが6割以上と多く、脳血管死も合わせるとメタボリックシンドローム関連によるものが多い。突然死はいつやって来るのかわからない。同級生の故小笠原三郎君の場合がそうだった。小笠原君は将来の神経内科教授に有力視され、頑丈そうな体をしていたが、米国留学中に学会会場で急死した。

 1987年3月12日、同級生の福並正剛君、飯田さよみさん、故徳永仰君と伊丹空港に遺骨を迎えに行った。大阪大学第2内科教授垂井清一郎夫妻も来られ、期待しておられた愛弟子の死に悲しまれていた。学会の準備で何日か徹夜をし、蒼白い顔をしていたという。私が小学生だった頃、父が「頑丈な体をしていた友人ほど早く亡くなった。自分は頑丈だと自信を持っている人は、仕事で無理をして早死にする。一つぐらい病気を持っていた方がいい」と言っていたことを想いだす。

 私が1968年大阪大学に入学し、最初に知り合ったのが奈良県立五条高校出身の小笠原君だった。広島県の田舎公立高校から出てきた私は「これから難波(大阪で最も賑やかな繁華街)を通って自宅に帰る」と言う小笠原君は都会育ちだと思い、豊中市阪急石橋駅から電車に乗っていっしょに梅田に出た。私は、流行りのジャズ喫茶かボーリング場にでも連れて行ってくれるのかと期待していた。地下鉄難波で降りると、彼は真っ直ぐ古本屋「天牛」に向かった。そして、高島屋に行って別れた。次に小笠原君と難波に出たときも、本屋と百貨店に行ってそのまま別れた。

 1987年3月13日奈良県五条市で葬儀があった。同級生の久保正治君、玉置俊治君とJR福島駅から王子で乗り換え、JR五条駅に行き、葬儀の受付をした。帰りは橋本から南海電車で難波に出た。小笠原君の葬式に出て、何故大阪大学入学時に繁華街を案内してくれなかったのかわかった。奈良県五条市は緑の濃い美しい自然が残る街で、私の故郷広島県庄原市に匹敵する山間部にあった。彼も現役で大阪大学に入学しているので、大阪の繁華街のことは、本屋と百貨店意外は全く知らなかったのかもしれない。

 小笠原君は田舎公立高校出身の真面目な性格で、留学先では無理をして研究をしていたのだろう。突然死を防ぐには、動脈硬化の危険因子である肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症、喫煙、ストレスを少なくする必要がある。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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メタボリックシンドローム

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